「Aさん、佐々木さんが来てくれたよ。よかったねえ。」
午後から出勤した私を見て、ヘルパーらがホッとした表情をしている。
というよりも(なんとかしてください・・・)という雰囲気だ。
私が特別養護老人ホームで働いていた頃、私に対して強いこだわりを持つひとりの男性入居者(Aさん)がいた。
彼は自立歩行ができていたが、不安定でリスクが高く、転倒を繰り返していた。
認知証も患っていた為、ヘルパー達は毎日気が気ではなかった。
Aさんは私のお願いはよく聞いてくれたから、私が出勤したことで彼女らの肩の荷が下りる気がするのだろう。
勤務開始時間前ではあったが支援を代わり、私は彼のそばで食事を見守った―――
彼はいつも私を見ていた。
私がフロア内を移動すると、それに併せてずっと私を目で追い、私がいなくなると不安に駆られて車椅子から立ち上がろうとした。
ある時は、職員ブースで食事を摂っている私の真後ろに立っていて、私のシャツの裾をずっと握りしめ、私が食事を終えるのをじっと待つこともあった。
周りから見ればさぞかし滑稽なシーンだったろう。
それでも、精神的に不安定でリスクが高いと判断した時は、たとえ私が休憩中であっても私のそばに居ることを許していた。
彼は居室にいてもナースコールでヘルパーを呼んだ。
他のヘルパーが訪問すると「お前じゃない!」と怒鳴られるらしく、彼のコールには私が対応していた。
(すぐに駆け付けないと彼は不安になってベッドから起き上がり、そのまま転倒してしまう・・・)
シューズの底が熱で擦り切れるほどの速さで飛ぶように走り、毎回慌てて居室に向かっていた。
しかし、駆けつけたところで彼に具体的な用事があるわけではない。
ただ彼は、私がユニットにいることを確認したいだけなのだ。
そのような日常が続いたことで【佐々木がAさんの保護者】のような雰囲気が形成されていった。
私はもちろん疲れていた。しかし、不思議と悪い気はしていなかった。
【この人には私がいないといけない】という、心地の良い責任感のような、信頼されているという満足感(今思えばうぬぼれ)が、私に疲れから目を逸らさせていた―――
ある日、私はいったい何回ぐらいAさんの居室を訪問しているのだろうという興味が湧き、私の就業開始から、彼のナースコールを正の字で数えることにした。
着々と増えていく【正】の文字と、時間を追うごとに疲弊していく私。
ピーンポーン
「まだ帰らんのか。」
ピーンポーン
「おしっこ出た(出てない)」
ピーンポーン
「明日は何時にくるん。」
ピーンポーン
「今日は何時に帰るん。」
ピーンポーン
「おしっこ出た(出てない)」
ピーンポーン
「もう帰ったんかと思った。」
他の入居者への就寝介助をこなしながら、私と彼はこのやり取りを延々と続けた。
20時をまわる頃、正の字が14個、ナースコールは70回を超えた。
この時間帯になると、いわゆるワンオペ、独りきりでの支援になる。
明らかに口数が少なくなる私・・・
次第に、激しい疲れは薄っぺらな私の使命感を怒りに変容させていった―――
認知症を患うBさんのトイレ介助中、またも彼は私を呼んだ。
(早く行かなきゃ・・・でも、ここも離れられない、でも彼が転倒してしまう・・・)
意を決した私は、Bさんに「絶対に動かないでね」と、それが意味のないことを分かりつつも半ば祈りのようなお願いをして彼の部屋を目がけて駆け出した。
幸い、Aさんはベッドの上でナースコールを握りしめてくれていた。
「明日は何時にくるん。」
「・・・。」
私は無言で居室の戸を閉めた。
踵を返してBさんの待つトイレに駆け込んだ私は、思わず目を覆いたくなった。
彼女は自身の便をトイレの壁や服に塗りたくっていたのだ。
顔にも少し便が付いていた。
「どしたん?・・」
Bさんは不思議そうな顔をして私を見上げている。
私は頭が真っ白になり、もう泣きたくなっていた。いや、記憶はないが、すでに泣いていたかもしれない。
Bさんの手や顔を塗れタオルで拭き、居室からパジャマをもってきてトイレの中で更衣介助をした。
もう、私の心は壊れかけていた。
ピーン・・ポーン・・
Aさんの居室のランプが光っている。
(もういい、起きて歩いてこけてもいい、俺は、疲れた。)
私はとぼとぼと彼の部屋に向かい、ドアを開けた。
「明日何時にくるん。」
不安そうな顔で私を見つめるAさん。
そんな彼の顔を見て何とも言えない気持ちになり、私の感情があふれ出した。
「俺は、あんたの息子じゃない。」
「俺は、あんたの友達じゃない。」
私の声は次第に大きくなった。
「俺は、あんたの家族じゃない!」
「なんで、なんで、いっつもいっつも俺なんじゃ!!」
「頼むから、もう、勘弁してくれ!!!」
Aさんは感情的になった私を見て、申し訳なさそうな表情で「すまん。」と一言だけ発した。
汗でべとべとになったジャージが身体にまとわりついて身持ちが悪かった。
私はフロアのテーブルの上で大の字に寝転がり、大きなため息を何度も吐いた―――
(隣のユニットから、手が空いて談笑する女性ヘルパー達の声が聴こえてくる。すぐそこでどれだけコールが鳴り響いていたとしても、皆、他人事なのだ。)
思い返せば、私とAさんとの間には一見【信頼】のように見える私への依存と同時に、私の一見【やりがい】のように見える彼への依存があった。
私はAさんに上手く接遇しているつもりでいい気になっていたが、実は紛れもなく【共依存】の関係であった。
そして、最終的に追い込まれたその日、私は悲劇を演じてしまった。
その後、引継ぎの夜勤の職員が出勤した瞬間、73回目のナースコールが鳴った。
「また明日の。」
と私へ微笑むAさんへどんな言葉をかけたのか、私は想い出すことができていない。
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